山田

山田

大和川支流、米川の上流部。蘇我倉山田石川麻呂そがのくらやまだのいしかはまろが最期をとげた山田寺の寺跡がある。ここを走る山田道は、磐余と飛鳥を結んだ約8キロの官道。つくられた時期は不明。平安時代の説話集「日本霊異記」で、雄略天皇の腹心小子部栖軽が「阿部の山田の前の道」を走ると記載。日本書紀でも、中国・隋の使者 が山田道を通ったらしいとの記述がある。


山田

もも足らず 山田の道を 波雲の うるはし妻と 語らはず 別れし来れば はやかわの 行きも知らず  衣手ころもての かへりも知らず 馬じもの 立ちてつまづき せむすべの たづきを知らに もののふの  八十やその心を 天地あめつちに 思ひ足らはし 魂合たまあはば 君来ますやと 我が嘆く 八尺やさかの嘆き 玉桙たまほこの  道来る人の 立ち留まり 何かと問はば 答へ遣る たづきを知らに さにつらふ 君が名言はば  色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我を

 (13・三二七六)

()も寝ずに 我が思ふ君は いづく辺に 今夜誰とか 待てど来まさぬ

(13・三二七七)

右の二首