あをによし奈良の都は

あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり

奈良の都は咲く花が美しく照り映えるように、今が真っ盛りである。

小野老(オユ)万葉集巻三・328

729年3月4日、この歌の作者、小野老はそれまでの従五位下から従五位へ昇進した。ほぼ20年ぶりの昇進であった。その後、老は太宰小弐(ショウニ)として筑紫の国へと派遣される。おそらくこの歌が披露されたのは、彼を迎えた太宰府の面々の歓迎の宴ででもあったのだろう。とともに、その宴は、20年ぶりの彼の昇進を祝う宴でもあった。

遠く筑紫の国で、しきりに大和への望郷の念をつのらせている一座の者達は、おそらくはこの直前まで、奈良の都にいたであろう老に、「今の平城の都の様子はいかに・・・」としきりにたずねたであろうと思う。その答えがこの歌である。遷都して20年になろうとしている平城の都は、まさにその偉容を帝都にふさわしいものとしていた。さらに、季節から言っても、老は「梅」、そして「桜」の盛りの季節を過ごした後、筑紫に下っている。彼の目に映った平城の都はまさしく「咲く花のにほふがごとく」といった状況を呈したのであろう。その思いを彼は歌に託した。

青丹よしは「なら」にかかる枕詞で平城の地の北側の丘陵地帯で、顔料に使う青土(アオニ)の良質なものが産出されていたことから生まれた語だという。「にほふ」とは臭覚のそれではなく、花などの美しさが周囲に照り映える様子を言う。この歌が一座の前で披露されたのき、居並ぶ面々の心中には懐かしい平城の地が美しく花で飾られている光景が去来したことであろう。花は上記によれば、作者の脳裏に浮かんでいたのは「梅」「桜」の類であろうと推定されるが、限定は出来ない。聞いたものがそれぞれの花を思い浮かべていたであろうと思う。

事実、下に紹介する歌では、それが平城の地に咲くものではないにしろ「藤波」がその素材として用いられている。ところで一座がそうやって望郷の念に浸っているとき、その場の主人であろう太宰の帥、大伴旅人の思いを気遣ったものがいる。65歳という高齢の上、この筑紫の地に赴任してから妻を失った旅人に・・・・・

藤波は 今を盛りに 咲きにけり 奈良の都を 思ほすや君

この筑紫の地の藤の花は今をまさに盛りと咲き誇っています。おそらくは同じように藤の咲き誇っているであろう平城の都を思い出していらっしゃいますか、我が君よ。

大伴四綱 万葉集巻三・33

と歌いかけたのは、おそらくはその親族であったと思われる大伴四綱だ。この筑紫の地、眼前には大海の波のように藤の花が咲き連なっている。そして、同じようになつかしい平城の地も・・・・その、さぞや美しいであろう平城の都を思えば思うほど、遠き筑紫の地にいる我が身がまどろっこしく感じられる。そんな思いは自分だけではないはずだ。もはや人生も終わりの頃に近づき、なおかつこの地で糟糠の妻を失った旅人様は・・・・四綱は思う。そしてかくのごとく問いかけたのであった。大伴旅人の望郷の歌はかくして生まれたのだ。そこには、老齢の、そしてうちひしがれた旅人の思いを気遣う四綱の心優しい気配りがあったのだ。