高橋和巳という作家

高橋和巳と言う作家がいる。
50才を過ぎた方々にとっては懐かしい名前かも知れない。まあ、正確には居たと言うべきか。私はこの作家に若い頃の一時期、はまっていた。もちろん、今だって嫌いになったわけではない。世代的に言うと、今年48才の私は高橋和巳にとって遅れてきた読者であろう。大学の文学部に属していながら、興味の中心が奈良時代の文学にあり、近現代の文学にふれる機会の少なかった私がどうして、一時代前の流行作家(流行作家と彼の呼ぶことに抵抗のある方もいらっしゃるかもしれない。私自身もそうなのだが、他に言葉が見つからない。)に興味を持つに至ったのだろうか。

それは大学の3年目の秋の学祭でのことであった。所属する文学部は例年あちらこちらから集めた古本を販売するのが習わしだった。私も、その売る側にいた。集められてきた本の整理に前日遅くまでかかった。その中に、私の目を惹くタイトルがあった。
「孤立無援の思想」・・・である。そのタイトルに惚れてしまった。中身などどうでもよかった。自分はこの本を読まなければならないと思った。しかし、売り物には手をつけられない。古本市が終わるのを待った。その本が売れないことを祈った。誰も手に取らない。しめしめ・・・最後まで売れ残り、その本は私の所有に帰することになった。もちろんなにがしかの金銭は払った(150円だったかな)。

家に帰って読み始めると、漢字が多い。言い回しが難解である。その時の私には歯が立たなかった。けれども、「読まなければならないと思った」私はあきらめず何度も何度も「孤立無援の思想」に立ち向かった。ある日、友人が高橋和己は小説の方が分かりやすいと言ってくれた。では、遠回りではあってもそちらから入ろうかと思い書店に行ってその著書を探した。もう時代遅れの感のある彼の作品は書店から姿を消しつつあった。古書店を回る。少しずつ彼の著作が増えて行く。はまってしまった。

かなり多くの彼の著作物を読んだ。内容、そこに語られている彼の思想、についてはおそらく賛否の多い作家だと思う。特に今日的な社会状況の中では受け入れられにくい作家だと思う。けれども、彼の思考の方法、そして、真面目さは今も評価を受けてしかるべき作家だと思っている。・・・・と、ここまで書いてきてふと気づくことがある。私は内容よりもタイトルから彼のはまりこんでしまったのであるが、試みに思いつくまま書き記してみたい。

評論では

孤立無援の思想   生涯にわたる阿修羅として   阿修羅の思想   自立の思想

小説では

我が心石にあらず   邪宗門   白く塗りたる墓(未完)   憂鬱なる党派

その他多くの作品を残した彼であるが、そのタイトルに注目したい。私が彼にはまった頃のように、文学をかじり始めた若者が飛びつきたくなるようなタイトルではないだろうか。まあ、かっこいいのである。今、彼がどう評価されているかは知らない。またあまり知りたいとも思わない。なぜなら、今、この日本が動いてゆこうとしている方向は、明らかに彼が指向していた方向と真逆であり、そのような社会の中で彼がどう評価されるかは問うまでもないからである。

それは彼が、その時代において、いかにこの日本が動いてゆくか・・・その点について見誤った結果なのだろうとは思うが、それは単にみえなかったと言うよりは、見たくなかったのだというような気がしてならない。