秋篠寺に行く・・・上

学生の頃の春・・・そして、20数年前の晩秋にお会いしたきり、すっかりご無沙汰の御仏がいる。以前「行って見たいところ・・・秋篠寺」と題した一文でご紹介した、秋篠寺の技芸天だ。秋篠寺は宝亀7年(776)、光仁天皇の勅願により薬師如来を本尊として建立された寺院であるが、この光仁天皇がこの寺の造立を勅願するに至るには次のようないきさつがあったとする考えがあることを最近知った。

称徳天皇の崩御により、天武天皇の裔が断絶した時、擁立されたのは天智天皇の孫である白壁王であった。これが光仁天皇であるが、その際にこれまた天智天皇皇孫の井上内親王を母とする他戸親王が皇太子に立てられた。が、 宝亀3年(772)、皇后に天皇を呪詛したとの嫌疑がかかり、廃后され、連座する形で親王もまた廃太子された。その4年後の宝亀6年(775)、井上内親王・他戸親王はその幽閉先で急死する。が、その急死はあまりにも不自然であったため山部親王(のちの桓武天皇)と藤原百川、藤原蔵下麻呂ら藤原式家の陰謀による暗殺の可能性が強いとされている。その宝亀6年藤原蔵下麻呂が42歳で没する。さらに翌年にも天変地異が相次いだことから、井上内親王・他戸親王の怨霊を恐れた天皇の勅願によって秋篠寺は建立されたというのだ。

この考えの真否については私の力の及ばぬこととて、あまり真剣に受け取っていただかない方がいいかと思うが、その後、長岡京遷都の際に惹起した藤原種継暗殺事件以降の怨霊信仰の流布を思ったときに、同じ桓武天皇が関わっていること、妙に興味深い。

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が、そんな成り立ちについての考えが提起されているにも関わらず、この寺のたたずまいはまことにもってひっそりとして、清楚である。

写真は秋篠寺の東門。その北に駐車場がある故、自動車に手この寺を訪れた参拝者はこの門から域内に入るのが一般的である。門の外からの眺めはかくがごとし。一歩足を踏み入れるだけで、とても清らかな空気に包まれそうな予感を抱かせる。ここから見える参道のつきあたりの白壁の内にお目当ての御仏のいます本堂はある。

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さて、その白壁に突き当たり左に曲がる。左手に写真のような建造物が見える。その古びた屋根の下には、様々な日本の神が祀られた小さなお社がひしめいている。

寺院の境内に神社がある・・・というのは、神仏混淆がならいの我が国のこととて、さして違和感はないが、かくも多くの神々がこうやって一つ屋根の下に仲良くひしめいている様は、一神教を奉ずる方々にはどうにも納得のできない光景であろう。これも我が国の・・・いや、東アジアの多くの国々の信仰の形なのだ。

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先ほど門の外から見えた白壁に沿って歩いて行くと、道はいつの間にかこのような木立に覆われてくる。

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一面に広がる苔の、しっとりとした緑が目に優しい。その中を歩いていると、心はいつの間にか御仏の前に出るにふさわしい落ち着きを持ち始める。この寺の周囲は四方、道を隔てて住宅地が広がっているが、この美しい木立がそんな喧噪のすべてを吸収し、みずみずしいまでの静寂を境内に作りなしている。

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そんな木立の中に見つけた灯籠である。火袋が失われて灯籠としては役をはたさぬようにも思えるようにも思えるが、よくもまあ笠が落ちずにいるものだと、妙に感心した。

さてさて・・・そんな燈籠のちょいと先に本堂へと続く道が見える。そこにこの日の私の目当ての御仏がいらっしゃる。

寂寞たる・・・そして、清浄極まりない木立の中の参道を歩いているうちに、私の方もすっかりと御仏の前に立つべく心の準備が整った・・・早く伎芸天に会いに行こう・・・

・・・<続く>・・・