続日本紀斜読の記・・・複産記事について

先日もいったように、今年に入って私は続日本紀を読み続けている。そこでも言ったように本当にいいかげんな斜め読みである。けれども、この1年・・・あるいは全巻を読み終わるまで、この作業を続けてみたいと思っている。この作業を通じ、どれほどのものが私の中に残るのかはなはだ心許ないものがあるが、それでもときどき「ふ~ん、そうなんだあ・・・」とか、「なるほど、なるほど。」と思うようなことがないでもない。

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そこで、せっかくだからそんなささやかな「私の発見」を、ブログ上にちょいと書き記してみよう・・・なんて気になった。「私の発見」なんていっても、もちろん、それはこれまでの私の不勉強を物語るものであって、けっして世に誇る新知見などではない。けれども、そのうちの一つぐらいは皆さんの興味を惹くような事柄が皆無である・・・とばかりは言えぬかもしれない・・・などという浅はかな思いで、この「続日本紀斜読の記」を始める次第である。
「斜読」という言葉があるのかどうかは知らない(少なくとも浅学な私は聞いたことがない)。ただ、「斜め読み」としてしまったのでは少々冗長な感があるので、ぐっと縮めて「斜読」とした方が引き締まった感じがするのでかくのごとく名付けた次第である。
さて、「斜め読み」という言葉でさえもの足らぬほどのいい加減な読み方ながらも、年明けより寝る前の本のひと時、続日本紀にお付き合いしていただいているわけであるが、このほどようやく岩波新古典大系本の第一巻の本文部分を読み終えた。残されたのは、その倍量にも値する補注である。本文の頁にはごく簡単な脚注があるだけで、力を尽くして説明するべき語句についてはすべてこの補注の回してあるものだから、なかなかよみごたえがある。一つ一つの項目を丁寧に読んでいけば、これだけでも1年はかかりそうであるので、それこそ斜めに視線を向けて、興味を惹いた語句のみを読むようにしている。
そこで最初の私の気を惹いたのは「多産記事」という項目だ。これは、先日示した

林の坊の新羅の女、牟久賣むくめ一たびに二男二女を産みつ。あしぎぬ五疋、綿五屯、布十端、稻五百束、乳母一人を賜ふ。

文武三年(699)正月壬午

大倭やまと葛上かづらきのかみのこほり鴨君かもきみの粳売ぬかめ。一たびに二男一女を産みつ。絁四疋、綿四屯、布八端、稲四百束、乳母一人を賜ふ。

文武四年(700)十一月壬寅

河内国古市郡の人、高屋たかやのむらじ薬女くすめ、一たびに三男を産みつ。絁二疋、綿二屯、布四端を賜ふ。

慶雲元年(704)六月乙丑

山背国相楽さがらか郡の女、鴨首かものおびとの形名かたな、三たびに六児を産みつ。初めに二男を産みつ。次に二女を産みつ。後に二男を産みつ。其の初めて産める二男、みことのり有りて大舍人おほどねりとしたまふ。

慶雲三年(706)二月戊子

についての説明になる。ここでは4例しかあげていないが、それは私がそこまでの範囲しか読んでいなかったためで、続日本紀全体では18例に及ぶのだという。

  • 1度に3男、もしくは3女を産んだとするもの(3児とするもの一例あり)
  • 1度に2男2女を産んだとするもの
  • 1度に二男一女を産んだとするもの

があり、これを見ると双子はその対象にはならなかったようだ。
ただし、上の例の一番下のように3産に6児とするもの(双子を3度)が、褒賞の対象となっている。が、この場合は賜物はなく、六男のうちの2人を大舎人に取り立てるという形で褒賞している。
「これを見ると双子はその対象にはならなかったようだ。」と書いたが、それは一つには育児の負担の度合いが考えられる。その褒賞に「乳母」が授けられるケースも多いが、考えてみれば「乳母」になれる女性は、やはり自分も育児中の女性に限られる。してみればすべからく「乳母」は同時に二人の子供を育てているわけであるから、まあ二人だったら公が補助しなくても育てられる・・・ということだろうか。
多胎出産(複産)の発生の確率については、ヘリンの法則というものがあって、その確率は近似値的に
89 n-1 分の1(n=胎児の数)
で計算できるらしい。これによれば双子の出現確率は89分の1、三つ子の出現確率は7921分の1であるらしいが、人種によって大きく隔たりがあるらしく、実数として現代の日本では150~160分の1、三つ子に至っては18000分の1という確率らしい。その希少さの差は百倍以上である。しかもこれは、現代日本においての確立である。衛生の状態や栄養状態が決して望ましいとは言えなかった古代日本において、母体により負担の多かろうはずの多胎出産(複産)は、無事にことが終えることは少なかったのではないかと考えられる。
これは全くの奇跡といえる。当時の人々はこれを「瑞祥」と捉えたのではないか・・・私にはそんなふうにしか考えられないのだ。
だって・・・様々な形の瑞祥について、その発見者が褒賞される例は続日本紀の中にいくらでも例を挙げられる。ましてや、一度に複数の「おおみたから」を世に産みなした母親である。これを褒賞せぬ手はないではないか。