続日本紀斜読の記・・・複産記事について(補1)

前回、続日本紀の複産に関わる記事について触れたが、一つ補足しておきたいことがある。前回の文中、「多産記事」という言葉を1カ所用いている。前回の記事の多くの部分が、新古典大系本続日本紀の補注の「続日本紀の多産記事について」という項目に基づいて書いたものであり、それに基づいて書いた以上、私がその項目名をそのまま踏襲するのが正しい姿勢であると思ったからである。

しかしながら「多産」という語を国語辞典で調べて見ると「子供を多くうむこと。 (大辞林)」とあり、一度に多くの子を産むことなのか、幾度にもわたって多くの子を産むことなのか判然としない。そこで今度は百科事典を調べてみることにする。

動物の雌が多くの子を産むこと。1腹の産子数の場合にも,1回の産子数の場合にもいう。なお2胎児以上を同時に胎内に宿す状態を多胎妊娠といい,ニワトリのような場合については,多産卵性という。

(ブリタニカ国際大百科事典)

この説明の前半を見ると、一度に多くの子を産むことにも、幾度にもわたって多くの子を産むことにも用いることのできる語のようにも思える。が、その後半の記述に従えば、今回取り扱っているような、一度の複数の子を産むことは多胎出産(複産)といった方がより正確であろう。「多産」なる語は、たとえば「あの家は多産の家系だ。」なんていうように、幾度にもわたって多くの子を産むことを意味するように私には思える。だから前回の記事の別の部分(「ヘリンの法則」についての説明)で、私は「多胎出産(複産)」という言葉を用いた。

むろん新古典大系の編者の方々は、私のような浅はかさは持ち合わせていようはずもないから、何か深い慮りがあって「多産」という言葉を用いていらっしゃるに違いない。が、私はその浅はかさゆえにその慮りが読み取れない。よって前回の表題には、後から「多胎出産」と同義語である「複産」という言葉を付け加えさせていただいた。そしてこの記事の以降の部分においても複産という言葉を使用したいと思う(この判断が、私の浅はかさゆえの誤りでないことを願う次第である)。

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さて、そのような些末な言葉いじりはここまでにして、本当に私が気になったことを考えてみたいと思う。

たびたびの引用で申し訳ないが、前回も挙げた例を見てみよう。

林の坊の新羅の女 牟久賣むくめ
二男二女 あしぎぬ 五疋  綿 五屯 布 十端 稻 五百束 乳母 一人

文武三年(699)正月壬午

大倭やまとの国葛上かづらきのかみの郡 鴨君粳売かもきみのぬかめ
二男一女 絁 四疋  綿 四屯 布 八端 稲 四百束 乳母 一人

文武四年(700)十一月壬寅

河内の国古市の郡 高屋たかやのむらじ薬女くすめ
三男   絁 二疋  綿 二屯 布 四端

慶雲元年(704)六月乙丑

これらの記事を見て、「林の坊の新羅の女 牟久賣」さんや「鴨君粳売」さんや「 高屋連薬女 」さんは、いったい今の金額にしていくらもらったのだろうか・・・などと、浅はかさだけではなく、意地汚さまでもその属性に持つ私は考えてしまう。

そこで、こういった場合にはよく用いられる方法であるが、彼女らがお上よりいただいた絁・綿・布などがどれほどの価値があったのか、米価に換算して考えてみたい。

少々時代は下ることになるが、醍醐天皇の命により藤原時平・藤原忠平等が編纂した延喜式(927年)の禄物価法によれば、畿内においての絁・綿・布の米との交換レートは

絁一疋=稲30束  綿一屯=稲3束  布一端=15束

ということになっている。時代差があることから物価の変動を気にしなければならないが、延喜式の性格(律令の施行細則)上、そう大幅な違いはないと考えてこのレートで考えてみる。まずは「林の坊の新羅の女 牟久賣」さんである。

お上より下された品々と、それを米に換算した価値は以下のごとし。

絁 五疋・・・・稲150束
綿 五屯・・・・稲  15束
布 十端・・・・稲150束
         稻500束
計       稲815束

となる。1束の稲束は2升(現代の約0.8升 約1200g相当)米がとれるとされている。すると、計算上「「林の坊の新羅の女 牟久賣」さんは978kg、ほぼ1トンの米に相当する経済的価値をお上からいただいたことになる。仮にスーパー中で売っている標準的な米の価格(2106年10月平均の小売価格は5kg2000円弱)で換算すると40万円弱ということになる。

これを「鴨君粳売」さんと「 高屋連薬女 」さんに当てはめてみよう。

「鴨君粳売」さん

絁 四疋・・・・稲120束
綿 四屯・・・・稲  12束
布 八端・・・・稲120束
         稲400束
計       稲652束・・・米782.4kg・・・312960円

「 高屋連薬女 」さん

絁 二疋・・・・稲60束
綿 二屯・・・・稲  6束
布 四端・・・・稲60束
計       稲126束・・・・米151.2kg・・・60480円

となる。同じ三つ子をお産みになったのだが、かなり格差がある。この差が何に由来するのかは定かではないが、「 高屋連薬女 」さんはかなり損をしている感は否めない。続日本紀全体の複産記事18例のすべてを当たったわけではないから、ここではうかつなことは言えないが、たとえば、同じ奈良時代でも、時代が下ると(淳仁・称徳朝)このような複産に対して褒賞が行われたという記事が見えなくなることだけを指摘しておこう。

ところで、「 高屋連薬女 」さんが損をしたといえば、もう一つ忘れてはならない事実がある。それは上のお二人が乳母を賜っているのに対して「 高屋連薬女 」さんは賜っていないという事実である。

当時の乳母の日当がいくらかは知るよしもないが、多くの場合、一般的な労働者の日当は米2升とされる。仮に乳母が10ヶ月の間、その養育に関わったとすると300日×2升で600升・・・240000円ということになるから、この差もきわめて大きいといわねばならない。「 高屋連薬女 」さんが、仮に前のお二人の賜り物を知っていたならば、さぞかし悔しい思いをなさったであろうこと、我が子が高校を出るなり、高校授業料の無償化の時代となった私には痛いほどよくわかる。

さて、上記の計算はその賜物を米に換算し、それを現代の米価に置き換えて・・・という一般的な方式に従った結果である。ここでは、米というものの、当時の社会において持っていた価値が、奈良時代や現代とでは大幅に異なっているだろうことを考慮されてはいない。だから、可能性として別の換算方法を考えてみてもいいのではないだろうか・・・そんなふうにも思う。

そこで・・・先述した当時の一般的な労働者の日当という観点を考慮に入れた換算方法をとってみることにする。だいたい、当時の一般的な労働者の1日の日当が米2升であるとし、米の価格を10kg4000円とみると、それは現代に置き換えると480円ほどにしかならない。これではあんまりかと思う。そこで、当時の米価が現代のいくらぐらいに相当するかを、毎年定められている最低賃金と引き比べてみよう。

今、奈良県の最低賃金は1時間あたり762円ということになっているが、奈良時代の奈良は首都である。とすれば、現代の東京並みに932円で計算してみよう。すると、8時間労働(奈良時代には当然こんな概念はない)をむねとして考えるならばその日当は、7456円となる。そしてこれが米2升の金額となるならば、

林坊新羅女牟久賣・・・・・6076640円
大倭国葛上郡鴨君粳売・・・4861312円
河内国古市郡高屋連薬女・・939456円

という計算も成り立つ。あくまでも仮の計算で、かなりもらいすぎの感もいなめないが、帝王が数年に一度有るか、無いかの奇瑞にくださる恩賞である。これぐらいあってもいいんじゃないか・・・等とも思う。さらにこれに乳母の日当、74564円×300日=2236800円が加わるとも計算できる。かなり結構な金額だ。

まあ、それにしても「 高屋連薬女 」さんがかなり損をしていることは否めない・・・