丹後行

この週末は年度末恒例の職場の慰安旅行。丹後半島の西の付け根にある久美浜というところに行ってきた。関西にお住まいの方ならば、この時期に久美浜に出かけたならばその目的は何であるか、すぐに「はは~ん、贅沢してきたな!」とお察しが就くであろう。

そう、「かに」である。

季節的にはもうその終わりに近い時期ではあるが、近畿地方の冬(もう、春か・・・)の日本海といえば、「かに」である。

例年ならば一泊二日で行われるこの慰安旅行であるが、今年は諸般の事情により日帰り旅行。資金は一泊二日分で集めてあるから、その分だけ贅沢ができる。となれば、何に贅沢するか・・・もちろん、「かに」にである。

基本的には「かに」食べ放題というコースということで予約を取っていたのであるが、そこにプラスして少々高級なやつを・・・そう「タグ付き」の「かに」を一杯つけて頂いた。初めての体験である。

生まれて初めて食べた「タグ付き」の「かに」は、それはそれは美味であった。さすが一泊二日を日帰りに切り詰めて、その資金をつぎ込んだだけのことはある・・・なんて感心しながら・・・こんな贅沢は、こんな機会でもなければすることはあるまいな、なんて思いつつ、それでもこの企画はあまり上出来ではないな・・・と、ふと思うことがあった。

それは、その「タグ付き」を食べ終えた後こと、せっかく食べ放題になっているのだから、その分の「かに」にも手を出すことになる。普段ならその「かに」たちもこの上なく美味に感じるであろう(いやきっと感じたはずだ)が、その直前まで最高級の「かに」を食べていたのだから、どうしたってその差に目が行ってしまう。そのあたりは、かの著名なる「松阪牛」や「神戸ビーフ」(このあたりだって渡しは食べたことがない)を食べた後に焼き肉屋さんに言ったことを想像して頂ければよくご理解頂ける。

そうそう・・・何も食べたことのない「松阪牛」や「神戸ビーフ」を出す必要は私にはなかった。毎年秋に郷里から送ってくれる「さんま」を食べた後、毎年暮れに郷里から送ってくれる「松島牡蠣」を食べた後に、大和のスーパーでは「さんま」も「牡蠣」も購入する気にならないことを思い出せば良かった・・・のだ。そして、それと同じような体験はきっと皆さんにもあるだろうと思う。

話を元に戻る。目の前に山ほど積み上げられた食べ放題の「かに」を見て、私はおそらく「タグ付き」の美味に触れることがなかったならばおよそ感じるはずもない思いに襲われた。「タグ付き」であろうとなかろうと、「かに」は確かに贅沢品に違いあるまい。その贅沢品が多くの人々によって次から次へと食い散らかす光景を見て・・・いや、よそう・・・たとえその光景が、自分の感覚にそぐわないものだったにせよ、自分もまたその光景の一部であったのだ。他を批判する資格は・・・私にはない。

ところで・・・今回のこの一日旅行で出かけた久美浜は、私にとって本当に久しぶりに出かけた海であった。あまり定かではない記憶をたどるならば、直近で私が海を見たのは、昨年の正月に郷里に帰って以来のことではないか(このあたりの物言いは謙虚でしょう・・・あることを断言して、それがまやかしであった証拠を突きつけられて、次の日にその誤りを訂正し謝罪したなにやら大臣とはそこが違う。それに、今去年書いたものを見返して、その事実の裏はちゃあんととってある)。

おおよそ奈良の人間は、海を見るとたいそうはしゃぐものである。それは万葉集の時代から何も変わっていないように思う。

  中皇命徃于紀温泉之時御歌
我が欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ

万葉集巻一・12

  幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌
嗚呼見の浦に舟乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか

万葉集巻一・40

前者は、実際に海に出て、日頃見慣れぬ光景に触れてはやる心持ちを歌ったもの。次から次へと珍しいものをみたいとの気持ちが手に取るようにうかがわれる。後者は都での留守番を言い渡され柿本人麻呂が、その旅先での光景を憧れをもって想像したもの。柿本人麻呂が旅先で女の子のスカートが潮に濡れて足にぴったりと張り付いた、ちょいとなまめかしい光景を想像しては喜んでいる。これもまた、大和にいては見られない光景であろうし、こんな歌を歌うってこと自体、人麻呂が海に出かけて、そんな眼福に預かる経験があった(きっとドキドキしたんだろうな)ことを物語る。

とにかく、手放しのはしゃぎようや、そんな旅をしている人々への羨望が見て取れる。

むろん交通機関の未発達・・・というより皆無であった奈良時代に旅は苦痛でもあったから、すべての海に関する歌がそんなものだったばかりとは言えない。が、万葉集において紀州やら伊勢やら難波への行幸の歌が数多く載せられているという事実からは、人々がそれだけ海を見たいという思いを持っていたことが感じ取れる。むろん、その歌の内容は上記のように手放しで海を訪れた歓びを歌ったものばかりではない。だがそこには、全てであるとは言えないまでも旅先にあっては旅のつらさを歌い、家を思う・・・という羇旅歌独特の発想法も影を落としていることも多かっただろうと思われる。

そして・・・今も大和人の海への憧憬は変わらない。

ただ、私はそんな大和人である同僚たちとは少々違った感慨を持って、海を見ていたことも事実である。海辺の寒村で高校を出るまで育った私が海に抱くものは・・・同僚たちが抱く憧憬ではなく・・・郷愁である。家からほんの数分歩けば、そこからは視野を遮るものが一切無い太平洋が見えた。が、大和にあっては四方のどこを見渡しても、どれだけ車を走らせても、なにがしかのものが視野を遮ってしまう。大和を取り巻く山々はかつて日本武尊によって「たたなづく青垣山こもれる大和しうるわし」とたたえられたごとく確かに美しい。大和の人であった日本武尊が「大和は国のまほろば」とこの歌を歌い起こしたのも理解できないではない(そんな地にあこがれて今私はここにいるのだ)。が、四方、視界が遮られている閉塞感に・・・年に数度、私は襲われる。それは・・・海辺に育ったものの習性なのであろうか・・・

いや、大和の人々の海を見たときの歓びようもそうなのかも知れない。

ともあれ、久々に見た海はまさに「ひねもすのたりのたり」とした春の海であった。そして・・・ふと私は六年前のこの日のことを思い出した。2011年3月12日のことである。

その前日、私の郷里の海は、大いなる地の震えとともに今まで見たことがないほど荒れ狂った。昏く冷たい波濤が、人々の命を、生活を根こそぎ奪い去ってしまった。その翌日のことである。私の目は一日中テレビに映る我が郷里の惨状に釘付けになっていた。ほとんどテレビの前から動くことができなかった。そうしながらも連絡の取れない親族や知人に何度も何度も連絡を取ろうと試みていた。

そんな時だ。たまたまテレビに映し出された3月12日の郷里の海を見たのは・・・それは・・・今私が見ているがごとく「のたりのたり」とした穏やかな海であった。前日の狂乱などは一切無かったごとくに、海は春の日ざしにきらきらと輝いていた(寒くはあったが)。今私の眼前にあるのは日本海。かつて荒れ狂った郷里の海は太平洋。けれども3月12日という日が、私にその日のことを思い起こさせたのだ・・・