榛原だより

都祁の地から榛原の地への異動から早くも半月が経った。なじむどころか、ますます忙しい日々が続き、落ち着かない毎日を過ごしている。世の中には、そんな状態にあって、ますますイキイキと輝きを増すような方々もいると聞くが、私は・・・残念ながらそんなタイプではない。早くこのバタバタが通り過ぎてくれればと願うばかりである。

さて・・・榛原の地は、前の職場の都祁ほどではないにしろ、結構な高度のある場所である。しかも我が職場はその榛原の中でも小高い場所に・・・360mほどの高所にある。したがって若干ながらでも、大和盆地とでは気温の上下はあり、季節の進みがやや遅い。

だから、盆地では葉の目立ち始めた桜ではあるが、榛原の街を西に流れる宇陀川の桜は一昨日現在で以下の状態である。

まだ、蕾が多く残っている。おそらくは今日(4月16日)ぐらいが見頃になっているのではなかろうか・・・

そして・・・これもまた一昨日、何気なしに職場の窓から北をみやると・・・

咲き誇る桜に隠れて見えないがそこには榛原の街並みが広がっている。そして青々と続く山並みがその背後にある。この山並みの向こうは、前職場の都祁である。いずれもが高度700mを越える高峰(奈良の地にあっては・・・だが)である。そして、かように見下ろすところから私が写真を撮っているということは、私の背後にもやはり高度の高い場所があることを示す。

・・・そう、榛原もまた高所に囲まれた盆地なのである。

山は右から順に・・・

中央に最も高い頂を持ち、やや低い頂をその両脇に配した・・・そう、漢字の「山」という字の「象形」のそのもっとも原初的な形をした山がある。額井岳である。宇陀市と奈良市の境(旧くは宇陀郡と山辺郡)に位置する山である。標高は812mと少し。大和富士とも呼ばれているが、案外大和盆地に住む人間は、この事実を知らない。その南東山麓に万葉歌人の伝山部赤人の墓があること、以前書いたことがある。

続いて中央部にとがった頂が二つ。右が香酔山こうずいやま、左が貝が平山かい  ひらやまである。

貝が平山については以前書いたことがあるので、ここは香酔山について・・・

この香酔山と額井岳との間を抜けるのが香酔峠で、大和東部の山地の南北を結ぶ要所であるとともに、その急な勾配は、自転車乗りの皆さんにはチョイと知られた坂道ではある。

ところで・・・「香り」に「酔う」とは何ともまあしゃれた文字づかいではあるが・・・どうも本来の文字づかいとしては「香水」が正しいようだ。「地名伝承論 大和古代地名辞典」という書物によれば、香酔山中には俗に「臍の水」という泉があって、その傍には竜神が祀られているそうだ。

また、大日本地名辞典には

真木原寺 宇陀郡 霊異記〔略〕〔霊異記攷証、吉川氏曰、宇陀郡赤瀬村之西北香水山嶽有廃寺跡、蓋真木原山寺之蹟也〕

ともあり、「真木原寺」という寺院がこの山中にあったことがうかがわれるが、となれば・・・この泉の水がこの寺の香水として用いられ、そのことがこの山の名のいわれとなったことが推測することも可能かと思う。

そして・・・最後に写真左端の、そしてもっとも手前にそびえるのが鳥見山である。

「とりみやま」あるいは「とみやま」と読む。宇陀市と桜井市の境界をなす山で標高は735m弱といったところ。日本書紀 神武天皇の段に

四年の春二月の壬戌みづのえいぬつきたち甲申きのえさるに、詔して曰はく「我が皇祖みおやみたま、天より降りて、らし助けたまへり。今もろもろあたどもすでけて、海內あめのした事無し。以つて天神あまつかみ郊祀まつりて、大孝おやにしたがふことべたまうべし。」すなは靈畤まつりのにはを鳥見山の中に立てて、其地そこづけて上つ小野の榛原・下つ小野の榛原とふ。

とある「鳥見山」がこの山ではないかとも考えられており、そう考えると、「榛原」という地名が少なくとも日本書紀の編纂時期を下らない時期であることになる。

が・・・ここに異論がないわけではない。

桜井市外山とびに、もうひとつの鳥見山と比定される山があるのだ。その名も外山とびやま。山頂の標高は245メートルで、その西麓に等彌神社が鎮座している。これはかつてその山上に鎮座していたとされる御社である。

どちらが正しい説であるか・・・ここで判断下すのは野暮な話で、それぞれの地元にあって、それぞれの地域の伝承を大切にしてゆけばよい・・・そんなふうに思う。

 

ただ・・・後者の説によれば・・・榛原の地名の由来がどこにあるのか、そしていつのことなのか・・・少々心許なくもあるのだが・・・・