近江の海 夕波千鳥・・・

私は日暮れ時の琵琶湖畔に佇んでいた。場所は膳所のあたり。湖面越しに見える比叡の山にはすでに日が落ちてはいたが、その光はまだ湖面をキラキラと輝かせ、その湖面に浮かぶあらゆるものを黒々と浮かび上がらせていた。

写真では、右下の方に一羽(多分、鵜?)が確認できる程度だが、他にも何羽かの水鳥が湖面に戯れていた。そして、それらのすべては夕日に輝く湖面に黒いシルエットとして、そこに存在していた。

ふと1首の万葉歌を思い出す。ひょっとしたら・・・皆さんも教科書でお目にかかる機会もあっただろう・・・

近江あふみの海 夕波千鳥 が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ

近江の海の夕暮れの波打ち際に群れ居る千鳥たちよ・・・お前が鳴く声を聞くと心も撓えるばかりに昔のことが思われてならない。

柿本人麻呂・万葉集巻三・266

である。この歌については以前一度書いた。そこで私は「夕波千鳥」について

・・・夕波千鳥・・・柿本人麻呂の造語か。夕暮れの波打ち際に群れ居る千鳥をいう。おそらく人麻呂がこの歌を詠んだのは琵琶湖の西岸。となれば、ここで想起すべき千鳥の姿は夕暮れの逆光の中の黒々とした姿ではなく、夕映えの中赤々と染まる千鳥の姿ということになる。

と書いた。が、今回この記述が不正確さに気が付いた。上の一文を書いた時、私は人麻呂がこの時訪れた近江の都は、琵琶湖の西岸に位置していたのだから、夕日は必然的に湖とは反対側の比叡山に沈む。ならば、琵琶湖に遊ぶ鳥たちは、逆光の中の黒々としたシルエットではなく、夕日に明々と照らされていた・・・と考えるべきだと思った。

が・・・今回この季節のこの時間帯の湖畔に立って、それは過ちだと気づいた。答えは上の写真である。近江の都は確かに琵琶湖の西岸に位置する。が、その湖岸の地形はかなり複雑に入り組んでいる。かならずしも、湖面が人麻呂の立つ位置よりも東にあったわけではないのである。

むろん、真西・・・なんてことはあるまいが、少なくともこの日私が佇んだ膳所から見れば湖岸のラインは北西に延びている。季節が、夏至近くであったならば日は充分に湖面の向こうに沈む。

近江の都があったと推定されている場所からここは直線距離にしてほんの3,4km。人麻呂がこの地を通過したとしても何の不思議はないということを考え合わせたならば・・・人麻呂が見たものは、必ずしも「夕映えの中赤々と染まる千鳥の姿」ではなく、「夕暮れの逆光の中の黒々とした姿」であったかもしれない。