思い出す味・・・蕎麦その3

もうじき誕生日である。齢57、還暦まであと3年だ。大いに喰らい、浴びるように飲む・・・もはやそんな年齢ではない。気に入ったものを、必要な分(この「必要な分」というのが人さまより少々多いようにも思うが)だけ口にすれば、それで満足である。かつて、休日の昼などは中華料理屋さんに赴き味噌ラーメン(大盛りだよ)とマーボーどんぶりなどを平らげていた私も、最近では蕎麦などを手繰る程度でも充分に満足できるようになってきた(但し大盛り)。

今日はここの蕎麦屋、明日はあそこの蕎麦屋・・・などと、「つう」を気取るわけではないが、それなりにお気に入りの蕎麦屋もできてきた。嗜好が自分にかなっていること、その値が我が懐具合に合致していること。これがその条件である・・・と、書いてくると今日は、そのお気に入りの蕎麦屋の紹介でもするのかな・・・とお思いになられるかもしれないが、ちょいと違う。

以前、今日と同じ題で二つほど書いた。

いずれも、立ち食いの蕎麦屋で、その頃の私の(我が家の)経済状況にふさわしい蕎麦屋であったが、子どもの頃に一度だけその経済状況にはふさわしからぬ高級な蕎麦屋に入った記憶がある。

それは・・・上の「その1」で書いた出来事からそんなに離れていない時期のことである。そこにも書いた通り、東京セルフなるスーパーマーケットの片隅にあった立ち食いの蕎麦屋さんの一杯40円也の「かけそば」がすっかり気に入った私は、ことあるごとに「かけそば」を食わせろと親にせがんだ。母親は休日の昼食に袋に入ったそばを湯がく機会が多くなった。たまに街に出かけるとなると駅の立ち食い蕎麦に連れて行ってもらうことが多くなった(それまでは百貨店の最上階にあるレストランが多かった)。

そんなある日のことである。

母は私を連れて石巻へと出かけた。私の住んでいた町から最も身近な「百貨店」のある町である。今はもうない「丸光」という百貨店で買い物を済ませた後、母は私に聞いた・・・昼食は何がいいかと・・・言わずもがなである・・・私は東京セルフか駅のスタンドで「かけそば」を食べたいといった。

いくら安上がりとはいっても、母もそろそろ立ち食いの蕎麦にうんざりしていたのだろうか。たまに街に出るのだから、少々上等なものを食べたいという気持ちを働いたのだろう・・・

「もっと、美味しい『かけそば』が食べられるお店があるよ(むろん我が母であるから東北の訛りで・・・)。」といって、石巻では有名な観慶丸という瀬戸物屋のそばにあった蕎麦屋に私を連れて行ってくれた。

小学生だった私にも老舗であることが一目でわかるような立派な造りのお店であった。店の名前はどうにも思い出せない。獏とした響きが我が脳裏をかすめはするのであるが、どうにもそれが一つ一つの音となって我が脳みそに再生されてはくれない。なんとも歯がゆい思いである。ただその響きはいかにも昔ながらの蕎麦屋にふさわしいそれであるように思う。

さて・・・店に入る。近年あちらこちらに乱立する「つう」好みのそれとは明らかに趣が違う。私たちが子供の頃、テレビドラマなどでよく目にしたいわゆる「お蕎麦屋さん」のそれであり、あえて言えばそこに明治以来の歴史のエッセンスが感じ取れる、そんなお店であった(今。思い返せば・・・だけどね・・・)。立ち食いの蕎麦屋しか知らぬ私には、その歴史が重圧を以て迫ってきた。第一、駅や東京セルフのそれのように、店の壁面にお品書きが張られていないではないか。

私の正面に座った母は運ばれてきたお茶(これもまた私にとって驚きであった。駅のスタンドや東京セルフでは水すらも出してはくれなかった)をうまそうにすすりながら、私にどれを食べるとお品書きを見せてくれた。筆で書かれた流麗な文字であった。かといって、小学生には読めないような崩し字ではなかったので、私はすぐにお目当ての品物を見つけることが出来た。

「かけそば」である。

ただ・・・私はその横に書いてある「かけそば」の値段を見て尻込みをしてしまった。400円・・・たしか400円であったと思う。普段私が食べていた「かけそば」は東京セルフのそれで40円、駅のスタンドのやつで50円であった。

こんなものを食べていいのか・・・私は躊躇した。けれども母親は早く言えとせかす。仕方なく私は「かけそば」と答えた。「そんなものでいいのか」と母は言う。「月見」とか「てんぷら」は良いのか・・・と聞く。

むろん先ほどこの店の「かけそば」の値段に驚いてしまった私は、それよりも高価なものを頼めるはずもない。しかも・・・当時私はてんぷらはあまり好きではなかったし、汁の上に浮かぶ生卵もあまり好きではなかった。

つまり、「かけそば」が私にとってベストなチョイスであった。

母親は・・・少々不満そうな顔をしながら、自らは親子丼を頼んでいた(親子丼も出るのが、当時のわが郷土の蕎麦屋の一般であったように思う。)。

そして待つことしばし・・・

いつものスタンドで食べているどんぶりより、少し小ぶりな上品などんぶりに私が待ちかねていた「かけそば」はやってきた。いつも食べている「かけそば」の8倍も10倍もする「かけそば」である。期待はいやがうえでも高まってくる。

私の前に差し出された「高級かけそば」は、薄い緑色で、みごとなまでに細く切りそろえられていた。それはそれは美しいそばであった。ほのかに漂うその清々しい香りは、その薄い緑色と相俟ってそれが新そばであることを雄弁に物語っていた。そして、同時に漂ってくる出汁の豊かな香りは「今ならば」私の食欲を刺激してやまないものであったように思う。

・・・が、それはあくまでも「今ならば」であって、その時の私の受けた印象はその「今」とは真逆のものであった。

・・・いつも食べている、私の好きな「かけそば」と違う・・・

少々無理をして、このような高級な店に連れてくれて来た母に遠慮して、必ずや口に出したりはしなかったと記憶するが、これが正直な私の印象であった。スタンドで食べる袋に入った蕎麦は決して薄い緑色などしていない。もちろん、清々しい香りだってするわけがない。出汁だって、こうまで豊かにカツオの香りを漂わせはしない。

けれども・・・子どもの味覚は結構保守的である。食べなれたものと違うものは決して受け付けない。私の先ほどまでの期待感は一気にしぼみ、言いようのない失望感と入れ替わってしまった。

けれども物は試しということもある。それに、わざわざそんな高級なお店に連れて行ってくれた母親への申し訳なさもある。なんとかその一筋二筋を手繰りこみ、そのだ出汁をすすってみた。

やはり違う・・・

私は一言「うめぐね~(おいしくない)」といった。

母は、今も思い出すほど怪訝な顔をした。その気持ちは今の私にはよくわかる。いつも食べさせている駅やスーパーマーケットの立ち食いよりはるかに上質のそばを食べさせてあげるのだ。我が子が喜ばないはずはない・・・そう思っていたはずである。

が、意に反してその反応は芳しくはない。それどころか、一筋二筋を食べた後はいっこうに箸を進めようとしない。しきりに私に食べるよう促す。私は頑として箸を持たない。落胆・・・困惑・・・そんな言葉が母親の顔には明確にうかがえた。

むろん母親がいくら困っていようと、そんなことを斟酌するほどその頃の私は大人ではなかった(まあ、小学校3年生だった私にそれを期待するのは無理というもの)。母はやむなく今来たばかりの親子丼を私に差し出し、そして自分は私がほんの少し手を付けた、しかも一定の時間が経過しすっかりのびてしまった「かけそば」を静かに食べ始めた。

・・・思い出せば、少々心苦しさを感じる思い出である。