木簡で遊ぶ

先日(3月22日)、夕食の際にテレビを見ていると、奈良版のニュースにおいて奈良文化財研究所が新たに木簡資料のデータ検索システムとして「木簡庫」なるシステムを公開したとの報があった。

以前から当研究所は平城京等の遺跡より発掘された木簡をデータベース化しそのいちいちを用途に応じて検索できる種々のシステム

https://www.nabunken.go.jp/research/database.html

を公開してきたが、今回はそのうちの「木簡データベース」と、「木簡画像データベース・木簡字典」を統合し、一カ所にて検索出来るシステムとして開発されたのが、この「木簡庫」なのだそうである。

こんな情報を耳にするとついつい遊んでみたくなるのが私どものようなものの悲しい性(笑)。さっそく、試してみた。

まずはその使い方のページを見る。

http://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/?c=how_to_use

詳細は私がくだくだしくお示しするよりも上のリンクから当該のページに進んでもらったほうが皆さんのご理解には益が多かろうと思うのでここでは詳述を避けるが、まあなんと多彩なシステムであるかとほとほと感心させられた。

どんなふうに遊んだかというと・・・

やはり木簡と言えば、1988年に発見された長屋王家木簡が私の脳裏に浮かぶ。そこで試みに検索窓に長屋王邸と入れる。あとは「検索する」のボタンをポチッとするだけだ。すると6188件の検索結果が表示される。いくら暇でもこれほどの木簡すべてを眺めるなんてとても出来ない。条件を絞ってみる。すると興味深い2つの木簡に行き当たった(どのように条件を絞ったのかは忘れてしまった トホホ)。

そこには次のように記してある。

(表)又犬四頭飯八升○ 受加佐乎   (裏)◇□月廿七日○◇
(表)犬六頭料飯六升瘡男       (裏)○六月一日麻呂

無学な私にはなかなかその正しい意を推し量ることは難しいが、要するに長屋王の家では犬を飼っており、その餌として、いつの年かはわからぬが□月廿七日には犬4頭に飯8升を与え、そこに「加佐乎かさを」という人物が関わっているということと、これまたいつの年かはわからぬが犬6頭に飯6升を与え、そこにはこれまた瘡男(加佐乎)という人物が絡んでいたということが察せられる。してみれば、この瘡男(加佐乎)なる人物は長屋王邸において犬の世話を担当している人物であったことがわかる。与えられた飯の量はある日には一頭2升、またある日は1頭あたり1升ということになる。

(どのように条件を絞ったのかは忘れてしまった トホホ)・・・というようなはなはだ心許ない検索であったので、ここは万全を期して、手順を変えてもう一度検索をしなおしてみる。

まずは「木簡を探す」の項の「本文」をポチッとして検索窓に「犬」と入れて「検索する」をポチッ。152件の例に突き当たる。さらに遺跡の項をポチッとして検索条件に「長屋王邸」と入れる。するとそこに示される用例数は40。地名・人名・あるいは前後が判読できぬ例が18件、さすれば動物としての犬に関わる用例が22例あることがわかる。それらを見渡せば、平均的には犬一頭に対し飯半升というのが平均的なところで、上に示した例は示されるのはその倍。あるいは4倍に相当する量で、何か特別な例であるように思う。ここで注意したいのが

子生犬一米一升

と記した木簡で「子生みし犬 一に米一升」と訓んで差し支えないとすれば、子供を産んだ犬に対し米1升が与えられたと理解することが許されるならば、ここまで述べきたったことをまとめれば、長屋王邸において飼われていた犬は通常1日に半升の飯が与えられていたが、子供を産むなどの特別な理由がある場合は、その量を倍、あるいは4倍に増やしてもらえる・・・ということになろうか。むろん、犬の大きさの違いもあるだろうから迂闊なことはいえない。

この当時の1升は、澤田吾一の「奈良朝時代民政経済の数的研究」によれば現在の4合前後(国立国会図書館デジタルミュージアム 226コマ)。中型犬とすれば、1日に2合の飯は適量かなと思う。もっとも当時としては犬が飯を食っているというだけでもだいぶ贅沢であったかと思う。

さて・・・長屋王邸から発見された「犬」木簡にはもう一つ気になる例があった。

犬司少子二口飯四升

という木簡である。おそらく「犬司ゐぬのつかさ」とはその飼い犬の世話をする役。「少子」とは子供のことであるから、犬の世話は子供の仕事であったのであろう。「二口」とは2人のことで、この2人に日当として4升の米を渡していたということを意味する。一人あたり2升である。長屋王家の他の使用人も他の木簡から2升の日当をもらっていたことがわかるから、この「犬司」の子供たちは大人並みに日当をもらっていたらしい。当時の官人が貴賤にあまり関わりなく給与のベースとして受け取っていた日当(月料)がやはり1~2升であったから、長屋王邸においてはこれにならって使用人に日当を支払っていたようだ(それもけっこう気前よく支払っていたんじゃあないかな?)。

以上、昨日新たに公開された奈良文化財研究所の木簡資料データ検索システム「木簡庫」を使って、ちょいと遊んでみた。もちろん当研究所においては学問上の研究ツールとしてこれを公開したわけであるから、私のように遊びで用いるのはどうかとも思う。

・・・けれども、おもしろいから仕方ないじゃん・・・というのが私の素直な思いである。