萬葉一日旅行・・・2018  その3

紀路に差し掛かったところで前回の記事は終わっていた。したがって、今回はその紀路についてのレポートから話を始めよう。

紀路は大和から紀州へと抜ける道。大和政権の中心である磐余や、飛鳥時代の飛鳥と、「紀伊水門(紀の川河口)」を結んでおり、大和政権の文化の窓口での一つであった。また、日本書紀や続日本紀にも歴代天皇の紀伊へ行幸の記事が存し、万葉集にもその道筋にある地名が詠みこまれた歌が多数見受けられる。

前回もお示しした写真であるが、中央部の山肌のはげたあたりが、その地名のうちの一つ、巨勢である。

大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌

巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を

右一首坂門人足

万葉集巻一・54

なんて歌で知られる、あの巨勢山がこの山である。けれども、私たち一行の進行方向はその逆。紀路(もちろん、推定だけどね)を北に上る。

緩やかな上り坂を行くこと、ほんの数分。進行方向の左手の丘陵の上にきれいな御陵が見えてくる。次の目的地、岡宮天皇陵(真弓丘陵まゆみのおかのみささぎ)である。

岡宮天皇は天武天皇と鸕野讚良うののささら皇女(後の持統天皇)の皇子、草壁くさかべ皇子。またの名を日並知ひなみし皇子。そして・・・この日並知皇子という語は、おそらく「日(天皇)に並び天下に臨む皇子」の意味で、普通名詞ではあるが、この時代にあっては草壁皇子に限り用いられている語。天武天皇の十年(681)となるが、天武天皇崩御の3年後の持統3年(689)に皇太子のままで薨去。天平宝字2年、岡宮御宇天皇おかのみやにあめのしたしらしめすすめらみことと追尊された。

皇太子のままで・・・はて、と思われる方もいらっしゃるかもしれないので簡単に説明すると・・・

・・・とは思ったが、この日の案内役であったK先生のこの場所での説明は、ごくあっさりとしたものだった。そのわけは・・・次の場所でわかる。