萬葉一日旅行・・・2018  その6

キトラ古墳にたどり着いた私たちがここで昼食をとることになる。

・・・が折角ここに来たのだから、キトラ古墳壁画体験館をはずすわけにはいかない。よって、昼食の前にキトラ古墳壁画体験館を見学する。

内部のあれこれについては私がここでくだくだしく説明するよりは、当館のホームページを見てもらった方が早く、そして正確である。

https://www.nabunken.go.jp/shijin/

私達が訪れたこの日(5月12日)はあいにくその実物を拝見することは出来なかったが、年に数回実物を拝見することができるので、是非にと思われる方は上記のホームページを注視しておく必要がある。そうそう、要申し込みであるからお忘れなく・・・

この古墳についての説明は当日の資料には「日本歴史地名大系」のものが載せられていたが、ここは上記ホームページの「キトラ古墳とは」を参照していただいた方がいいかもしれない。

さて・・・昼食を終えた私たちが次の向かったのは、檜隈ひのくま寺跡。

跡地には金堂跡・中門跡・塔跡・講堂跡・回廊跡と推定される遺構があり、礎石が遺存する。伽藍は西を正面とし、塔を中心に右に金堂、左に講堂があり、金堂・講堂は塔側を正面とする特異な配置となっている。

と当日の配布資料所載の「日本歴史地名大系」にはある。なお、同書によれば塔心礎はその直径1mほどでそこには直径12㎝、深さ9㎝の舎利孔があり、そこで発見された青磁の合子の中には玻璃の容器に収められた仏舎利が納められていたという。

檜隈寺は法号道興寺。日本書紀朱鳥あけみとり元年(686)8月に

檜隈寺 軽寺 大窪寺に、各百戸をよさす。三十年に限る。

とあるからそれ以前の成立であることだけは確認できる。今この古寺の在りし日の威容を示すものは塔跡の十三重の石塔があるのみで、旧寺跡は、今、於美阿志おみあし神社の境内となっている。

於美阿志神社は渡来系の氏族の阿智使主あちのおみが祀られている。阿智使主は後漢霊帝の曽孫とされ、倭漢直やまとのあやのあたいの祖と伝えられている。先の檜隈寺が同氏の氏寺というから、どうやらこの檜隈周辺は彼らの集住地であったらしい。

そういえば前回紹介した観覚寺遺跡も渡来系氏族のものであったらしいから、どうやら・・・明日香の中心であった真神が原の南西の郊外にあるこの地は海を越え、大陸の進んだ文化をこの国にもたらした人々が住まいした地域であったらしい。

さて・・・今年の萬葉一日旅行も、訪れるべき地があと一つとなった。そして・・・そこまでの道のりが本日最大の難所となる・・・