萬葉一日旅行・・・2018 その7

5月以来、長々と続いてきた「萬葉一日旅行」についてのレポートもいよいよ今日が最後である(かな?)。これから目指すは、牽牛子塚けんごしづか古墳と岩屋山古墳の二つ。

檜隈寺跡を出発するとき、伊勢の方の大学にお勤めで、わたしの母校の先輩でもあるO先生から「ところで・・・牽牛子塚古墳って、ここからどんだけあるの?」と聞かれたので、わたしは「そうですねえ、2㎞ほどですかねえ・・・」と答えた。

そう・・・たった2㎞である。

・・・が、この2㎞が本日の最大の難所になる。

牽牛子塚古墳は明日香村から橿原市・御所市へとぬける峠道の頂に近い部分にある。これがまた・・・結構な勾配で、その坂の登り口の標高が90m強、そして峠の最高部が135mほど。高低差にして40mと少しなのだが、その傾斜はなかなかのものである。以前、私がこの近くに勤めていた時、お世話していた若い人たちと一緒にジョギングをしながらこの峠道を越えたこともあったのだが(若かったなあ・・・)、若かった私もこの坂道には結構こたえるものがあった。

そんなことをO先生に伝えた時、先生のお顔は少々曇ったような気がしたのは、私の気のせいではない・・・と思う。

檜隈寺跡をあとにして牽牛子塚古墳に向かう私たちが最初に差し掛かったのは、明日香村御園の集落、「そういえば、この辺に万葉輪講会の先輩のYさんが住んでいらっしゃいますよ」と私が言うと「へえ、こんなところにYが・・・(O先生から見ればYさんは後輩)」と一言。

さあて・・・いよいよ、問題の坂道にたどりつく。その勾配にため息をつく方が何人か・・・しかし、ここで立ち止まっているわけにはいかない。一行は覚悟を決めて峠を上り始める。道幅はそう狭くはないが、歩道らしきものはなく、通り過ぎる車の数はそう少なくはない。充分に気を付けなければ・・・

なんて思ってるうちに、峠の頂点に差し掛かる。道の右手には牽牛子塚古墳への道しるべが見えた。細い・・・しかも、かなり寂れた感じの道が木立の中に入ってゆく。結構長い距離、薄暗い道をくねくねと進んでゆくとその先にビニールシートで覆われた目的物はあった。

牽牛子塚古墳である。

上の2枚はその石室。この石室が・・・この古墳の場合、かなり特徴的である。

まずは・・・牽牛子塚古墳について。

むろん、この古墳の存在は以前から知られ、さらには上の写真のように巨大な凝灰岩をくりぬいた石室が2室あることで、その特異性が注目されていたが、2009年~2010年の、明日香村教育委員会の発掘調査により、この古墳が八角形墳であることが新たに判明した。八角形墳は、飛鳥時代の天皇陵に特有の形式である。とすれば・・・この古墳は天皇陵ということになるが、これまではそのような比定はなされずにいた。だからこそ今回このような調査が可能になったわけだが、調査では、さらに当時天皇などの身分の高い被葬者の場合のみに用いられた漆塗りの棺の破片も発見される。ますます被葬者が天皇である可能性が高い・・・とすれば誰が・・・?

日本書紀には

天豊財重日足姫あめのとよたからいかしひたらしひめ天皇と間人はしひと皇女とを小市岡上をちのをかのうへ陵に合せ葬りまつる。是の日皇孫みまご大田皇女を陵の前の墓に葬まつる。

天智天皇六年春二月

とある。

従来、宮内庁はこの牽牛子塚古墳の西南西2.5㎞にある車木ケンノウ古墳を斉明天皇陵に比定していた。が、今回の明日香村教育委員会による発表により、牽牛子塚古墳が斉明天皇陵である可能性が一気に高まった。上のごとく、日本書記に娘の間人皇女と合葬されたとの記述がある斉明天皇陵である以上石棺は二つ無ければならぬ・・・・しかも、その後、牽牛子塚古墳の南東のすそ野に新たな古墳が発見された越塚御門古墳こしつかごもんは、7世紀中ごろから後半にかけての築造であるとされたが、仮に被葬者が太田皇女(大津皇子・大伯皇女の母)とすれば、この二つの古墳の位置関係からして牽牛子塚古墳が斉明天皇の御陵である可能性はますます高いものとなる。・・・

ただし・・・これだけの事実を突きつけても宮内省は墓誌などの資料が出てこない限り、これまでの比定を改める必要はないとしている。天皇陵に比定されている車木ケンノウ古墳を発掘調査すれば、もうちょいとはっきりしたことが言えるのであろうが、天皇陵である限り・・・その調査はかなわぬこと・・・

・・・なんて思いながら、飛鳥駅に向けて歩きはじめる。牽牛子塚古墳は、けっこう急峻な丘陵上にあるが、見れば飛鳥駅に向いた斜面ではかなり大規模な整備工事が行われていた。聞けば・・・同古墳を整備したうえで周囲を公園化する計画があるそうな・・・

我々は少しずつ解散場所である飛鳥駅に近づく。途中、もう一か所立ち寄った場所がある。

岩屋山古墳である。詳細は、この古墳の説明書きを参考にしていただきたい。

写真は小さく見づらいとも思うが、なあに写真をクリックしていただければ、老眼の私にも読める程度までには拡大される。

牽牛子塚古墳のある丘陵からはだいぶ下ってきたので、もうほとんど平地上に位置するといってもいいほどのこの古墳であるが、上ってみると(この古墳は上ることができる)、結構広い範囲を見渡すことができた。そして・・・何よりも私を喜ばせたのは、吹きすぎた初夏の風。5月初旬にもなり、天気が良ければ・・・大和の地はもう汗ばむ季節である。この風が嬉しくないはずはない・・・

そして思う・・・今日はこれからどこに飲みに行くんだろう?

 

それから1時間ほどたって・・・私は当日いらっしゃった先生方や学生さんたちと共に橿原神宮駅東口を降りてすぐの居酒屋さんで冷たい生ビールをあおっていた・・・