卒業論文を書いていたころ  (はじめに、及びその1)

先日、「『誤字』ということ」なんて文章を書いたので、ちょいと卒業論文というものを書いていたころのことを思い出した。もう、40年近くも前のことだから、その記憶は定かではないが自分が曲がりなりにも学問というものの一端を垣間見ていたころのことを思い出すこともあながち無意味な事じゃあないのではないか・・・などと思い、その頃のことをつづり始めた。

一通り書けたならば、まとめて皆さんにお付き合いいただこうと思い、「『誤字』ということ」の直前あたりまでを一気に書き上げようと思ったが、なかなか筆(キーボード?)が進まない。それで先週は一度のアップできずに終わってしまった。このままではいつになったら皆さんに御読みいただくことができるかわからない(皆さんにほうはそっちの方がいいのかもしれないが)。ということで、今週はとりあえず書き上げることができた分の、まとまりのある部分だけお示しすることにした。以下は書き上げた順に皆さんにお示ししたいと思う。

他人が卒業論文を書いていたころの話など、どうでもいい話であることこの上ないが・・・・よろしければ・・・お付き合い願いたい。


いつもいつも長々とした文章で皆さんをお悩ませしている。反省することしきりで、私ももっと短くすっきりとした文章を書くことは出来ないか・・・そんなふうに常々思っている。そしてそんなことを思う時、いつも思い出すのは我が師匠、M先生のお言葉である。私のブログには、今までH先生が何度か登場願っているが、H先生は私が大学生活の1年目を終える頃に定年をお迎えになり、退官なさったので、お教えを乞うことができたのは1年間だけであった。大学に入って2年目から卒業までお世話になったのは、関東の方の大学院をお出になったばかりのM先生であった。

M先生は常々我々に「10を知ることが出来たなら、口に出して良いのはその内の2まで。そして書いて良いのはそれ以下です。」とおっしゃっていた。若さに任せ、みずからの知り得たこと全てを口に出さなければ済まなかった私のようなものをこう言って戒めて下さっていたのだが・・・そのお教えが生かされたのかどうか・・・このブログをお読みいただけばお分かりになるかと思う。あいも変わらず知り得たことは全て(あるいはそれ以上に膨らませて)お伝えしなければ気がすまず、こうやっていつも皆様の頭を悩ませている。第一、知り得たことと思っていることだってかなり怪しい。全く持って不詳の弟子(弟子と言えるほどの存在であるかどうか自信はないが)であること、我ながら恥ずかしい限りである。

ただ・・・いわゆる作文というものが苦手で、小学生の書いたものに毛の生えた程度の文章しかかけずにいた(「てにをは」だってきっと怪しかったと思う)私が曲がりなりにも私がこうやって思いのたけを「文章」らしきものにしたてあげることが出来るようになったのは、M先生のご指導によるところが大きい。おかげで皆さんは週にいっぺん(最近はこの「週にいっぺん」というのが難しくなった)は頭を悩ませ続けなければならないようになったのであるが・・・
(続く)