卒業論文を書いていたころ  (その3)

その翌日から私は、朝9時から夕6時までのほとんどの時間を天理図書館で過ごすことになった。

・・・と、前回は結んだ。そしてそれから、ほんの1~2か月、大学の最終年度を迎えた私はある特権を手にした。わが母校の学生は4年生になると一つの特権を与えられていたのだ。

規模の大きな図書館では閉架式というシステムをとっているのが普通である。見たい本があれば、司書の方に請求し書庫から持ってきてもらう、そしてそのためには膨大な図書カードの中からお目当ての書物を探さなけばならなかった。だいたいにして、ある程度書物に関しての知識がないと、やみくもに司書の方に書庫とカウンターの間を行ったり来たりしてもらわなければならない。まことに面倒な手間のかかる作業であった。わが母校の図書館も全国では有数の規模の図書館で会った以上、当然このシステムが採用されていた。

だが、我が母校では、卒業論文を作成しなければならない4年生はこのシステムから開放してもらえるのである。つまり、書庫に入れてもらえるようになるのだ・・・が、その特権を使えるようになり私はそれまでまことにもってなどろっこしいと感じていた閉架式というシステムがいかに便利なシステムであるか痛感した。

天理図書館のような図書館になるとその書庫の広大さは、あえて今はやりの言葉を使えば「ハンパない」。そして、その書庫に出入りを許された私は、その広大な書庫に中から自分のお目当ての書物を探すことがいかに困難なことであるかを知ったのだ(図書の分類の知識があればそれほどでもなかったのだろうが、恥ずかしながらこのことについて当時の私はほんのわずかの知識しか持ち合わせていないなかった。)。けれども司書の方々はその広大な書物の大海をいとも容易く泳ぎ回ることができる。おかげで私たちは図書カードを探し、書物の請求書を書きしばしの時間、カウンターの前で待つという手間だけでお目当ての本に出合えるのだ。

初めはそのあまりの広大さに戸惑った私であるが、数日後、やっとのこと自分がいるべき場所を見つけることができた。目的となる書物の並んでいる場所さえ分かったらもう大丈夫。その日から、そこが私の日中の居場所となった。

ある時のことである。私がその居場所にあって漢字ばかりの書物をぱらぱらとめくっていた時のことである。書庫では、節電はもちろん、書物の保護のためにも灯は消されている。必要な書物を捜すときのみ灯をともすようになっているのだが、私の「居場所」は、作業のため私がいる間は灯をつけていた。たぶん、何かの書物を探すため司書の方がそのフロアーにいらっしゃった。足音がしたので私は「ああ、誰か入ってきたな・・・」ぐらいに思っていた。足音とともに、何冊かの書物を書架から抜き取るような音が聞こえた。

その直後である・・・私の居場所は漆黒の闇に包まれた。

先ほどの司書の方が目的の書物を探しあてられ、カウンターの方に戻られるとき、私がそこにいることにお気づきにならず、灯を消してしまわれたのである。私は一瞬何事が起きたか判断できず、漆黒の闇の中で立ち尽くした。

しばらくして、正気を取り戻した私は、たしかあのあたりに灯のスイッチがあっただろうと思われるあたりまで、書棚に並ぶ大量の漢籍の背表紙づたいに手探りで近づいた。圧倒的な量の漢籍の背表紙が灯のスイッチまで私を導いてくれたのである・・・

そんな苦労(?)をしながらも、私の用例探しは続いた。ここで一つ付け加えておくが、私が求めていた漢字2字の熟語は、万葉集において題詞あるいは左中に用いられているものであるから、私の用例探しの主な対象は、奈良時代までの漢籍のすべて・・・とはいってもある程度は絞られてくる。だから、天理図書館の書庫に自分の居場所を見つけたのが4月の初旬、そして6月に入った頃、その成果を報告するためにM先生の研究室を訪れることができた。先生は「どうですか、何か興味深い用例が見つかりましたか?」とお聞きになった。「いえ、一つも見つかりませんでした。」と私は答える。「そうですか、見つかりませんでしたか・・・それは残念でしたが、ぼちぼち次の方向に進まないとね。ただ、見つからなかったことと、実際に無いこととは違いますから卒論の方には、その辺が分かるようにしてくださいね。」とのM先生のアドバイス。私の2か月以上にわたる努力の成果は・・・先行する用例は奈良時代までの漢籍に見つけることは出来なかった・・・というような内容の2行ほどの文に結晶した。今ならば、もうちょっと手際よく用例を検索する方法もあるだろうし、当時だってもっと合理的に用例を探す手段はあっただろう。が、当時の私にはそのような知恵は一切なく、ただやみくもに奈良時代以前の漢籍の頁をめくっていただけであったから、自分の調査の結果が正しいという自信は一切ない。こう書くしかなかったのだ。

・・・ちなみにその熟語の例は今をもってしても、唐代の後半以降のものしか見つけることは出来ていない・・・